「どうしてあんなに話してしまったんだろう」
「言わなくてもよかったかもしれない」
気持ちを共有したあとに、そんな思いが浮かぶことがあります。
心理学では、人が自分の内面を語る行為を
「自己開示」と呼びます。
自己開示は、人との距離を縮めたり、安心感を生む一方で、
その量やタイミングによっては、心に負担を残すこともあるようです。
たとえば、
- 理解してほしかった
- 否定されずに受け止めてほしかった
- ひとりで抱えるのが少し苦しかった
こうした気持ちが重なったとき、
人は「相手との関係性」よりも
「今のつらさ」を優先して言葉を選ぶことがあります。
そして時間が経ち、
心が落ち着いてきたところで、
「本当は、ここまで話すつもりではなかった」という感覚が
後悔として現れることも。
この記事では、
「話してよかったはずなのに、なぜか苦しくなる」
そんな経験を手がかりに、
心が何を守ろうとしているのかを、やさしく辿っていきます。
「話したい気持ち」と「守りたい気持ち」は、心の中で揺れている
ここで大切にしたいのは、
話してしまった自分を責めすぎないことです。
心理学の視点では、
人の心には 接近したい気持ち と 距離を保ちたい気持ち が
同時に存在することがあると考えられています。
- 誰かにわかってほしい
- でも、これ以上踏み込まれたくない
この二つは矛盾ではなく、
どちらも自分を守るための大切な感覚なのです。
話している最中は前者が前に出て、
話し終えたあとに後者が顔を出す。
そう考えると、後悔は
「守りたい気持ちに気づいたサイン」なのかも知れません。
どこまで共有するのが健全なのか
話したあとに残る後悔は、
「どこまでなら大丈夫だったのか」という問いとして、
静かに心に浮かんでくることもあります。
心理学では、こうした感覚を、
自分と他者とのあいだにある心の境界に気づくきっかけとして
捉えることもあります
心理学では、自分と他者のあいだにある
心の境界を 「バウンダリー(境界線)」 と呼ぶことがあります。
バウンダリーは、
他者との間に距離をとるものいうより、
自分の心と、相手の心とを、
それぞれ別のものとして感じていくための感覚に近いのかもしれません。
話しすぎたかも・・と後悔したときに、
いくつかの感覚が、あとから心に残ることがあります。
- 話したあと、どこか疲れが残っている
- 相手の反応を、必要以上に気にし続けている
- 「話してよかった」と同時に、「少し不安」も感じている
これらは、
「もう少し自分を守ってもよかったかもしれない」という
心からのメッセージなのかも知れません。
話しすぎた経験は、バウンダリーに気づくためのプロセス
気持ちを話しすぎて後悔した経験を、
失敗と捉えて自分を責めないでくださいね。
「失敗したからこその気づき」
むしろそれは、
- 自分はどんなときに心を開きやすいのか
- どんな相手だと安心できるのか
- どこまでなら、心が保たれるのか
そうした 自分なりのバウンダリーに気づくためのプロセスとも言えそうです。
境界線は、最初から上手に引けるものではなく、
行き過ぎたり、戻ったりしながら、
少しずつ「自分に合う形」に近づいていくものだと思います。
まとめ|後悔は「自分を大切にしたい気持ち」のあらわれ
もし今、
話しすぎてしまったことを思い返して
心がざわついているなら。
それは、あなたの中に
「次は、もう少し自分を守りたい」
という感覚が芽生えているサインかもしれません。
後悔は、責めるための感情ではなく、
これからの自分を支えるための気づきとして
そっと扱ってくださいね。
あなたの気持ちが、安心できる距離感の中で、
大切に育まれていきますように🌿
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