第1回では正常性バイアスと楽観バイアス
第2回では同調行動とデマの心理についてお伝えしました。
最終回となる今回は、緊急時に「身体が止まってしまう」フリーズ反応と、ここまで学んできた心理学の知見を日常の備えにつなげる方法についてお伝えします。
「止まってしまう」のも、心身の反応のひとつ
緊急の場面に置かれたとき、「身体が動かなくなる」「頭が真っ白になる」という経験をした方もいるかもしれません。これはフリーズ反応と呼ばれる、人間の神経系が持つ自然な応答のひとつです。
危険を察知したとき、私たちの身体は、
「闘う(Fight)」
「逃げる(Flight)」
「止まる(Freeze)」
という三つの反応パターンのいずれかをとります。
神経科学者のスティーブン・ポージェス氏(インディアナ大学)が提唱したポリヴェーガル理論(1994年)は、人間の自律神経系が脅威に対して段階的に反応することを示しており、フリーズ反応を迷走神経の背側経路の活性化として説明しています。
また危機管理研究者のジョン・リーチ氏は、実際の災害・緊急事態において人々はいわゆる「パニック」よりも「フリーズ」や「行動の凍りつき」の状態になりやすいことを繰り返し示しており、「災害時に人はパニックを起こす」という一般的なイメージ自体が実態と異なる可能性が高いと論じています(Leach, 2004, Aviation, Space, and Environmental Medicine)。
フリーズ反応を知っておくことで、緊急時に「なぜ動けなかったのか」という自己批判ではなく、「心身がそういう反応をしていた」という理解に変わります。
また、まわりの人が同様の状態になったとき、その反応を自然なものとして受け取れる余裕も生まれます。
知ることが備えになる
このシリーズでお伝えしてきた心理的メカニズムには、共通した特徴があります。
それは「知っているだけで対策になる」という点です。
バイアスや反応のパターンを事前に理解しておくことで、実際の場面での気づきが変わります。
ここでは、心理学の知見を日常の備えに活かす方法を三つ整理します。
【メンタルリハーサル(事前のイメージトレーニング)】
スポーツ心理学や危機管理の分野で効果が確認されているメンタルリハーサルは、「もしこうなったら、自分はこう動く」という場面を頭の中で具体的に描いておく方法です。避難ルート、持ち出し袋の場所、家族との集合場所の確認をイメージとして繰り返しておくことで、緊急時にも行動が起きやすくなります。フリーズ反応が起きても、事前に描いた行動が自動的に引き出されやすくなるとされています。
【家族・身近な人との事前共有】
「◯◯に避難する」「連絡がとれないときは◯◯に集まる」という取り決めを、平静なときに共有しておくことが助けになります。緊急時は情報が錯綜し、個人の判断が難しくなります。事前の共有が、同調行動やフリーズ反応があっても動ける土台になります。
【信頼できる情報源を平時から把握する】
気象庁の防災情報、各自治体のハザードマップなどの災害情報などを、平時から確認しておく習慣が、緊急時のデマへの耐性を高めます。「有事のときはここを見る」という選択肢がある状態は、不確実性を減らし、冷静な判断を支えます。
おわりに
3回にわたって、災害時に人の心に起きることをお伝えしてきました。
正常性バイアス、楽観バイアス、同調行動、デマへの感染しやすさ、フリーズ反応。
これらはすべて、人間の心と身体に共通して備わった反応です。誰かを批判するためでも、自分を責めるためでもなく、「人間とはそういうものだ」と理解した上で、次の備えに活かすための知識です。
私自身は、阪神淡路大震災を経験しています。あの頃、よく耳にしたのは「想定外」という言葉でした。その後に起きた東日本大震災では「未曾有」という言葉が使われました。規模も、被害の深刻さも、私たちがそれまで経験してきたものをはるかに超えていました。
大きな災害を経験するたびに、私たちは多くのことを学びます。しかし人の記憶や意識というのは、時間とともに薄れることもあれば、新たな経験によって強く更新されることもあります。「あのときの教訓」が、日常の中で少しずつ遠ざかっていくのは、ある意味で人間の心の自然な働きでもあります。
そしてもうひとつ、現代には新たな課題があります。第2部でお伝えしたデマの拡散は、AIの急速な進化によってより精巧になりつつあります。画像も、音声も、文章も、本物と見分けがつきにくい情報が生まれやすくなっている今、「一呼吸置いて確認する」という習慣に加えて、情報を見極める目そのものをこれからも学び続けていく必要があります。
それでも、知識を持つことの意味は変わりません。心のメカニズムを知っていることが気づきを生み、気づきが行動を変え、行動が自分と大切な人を守ることにつながります。
災害はいつどこで起きるかわかりません。だからこそ、今日という日常の中に、小さな備えを重ねていただけたら。
このシリーズがそのきっかけのひとつになることを、心から願っています。🌿
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